プロフィール

私がこのカウンセリングルームを始めた理由

こんにちわ、このルームを覗いていただき、ありがとうございます。
あなたとのこのご縁が、あなたにとって有意義になることが私の喜びでもあります。

私は看護師を38年間勤めあげてきました。
当然いろんなことがありました。

嬉しかったこと、悲しかったこと、
悔しかったこと、後悔していること・・・。
公私ともに悲喜こもごもの38年を経て、

今の私があります。
看護師の経験とともに自分自身に起きたことをきっかけに、
対人関係で困っている、
漠然としているけどなんか辛いと感じている

人たちの手助けになりたいと思い、
このカウンセリングルームを始めました。

私を造ってきた経緯

内気な幼少期、そして平々凡々

兵庫県の山陰地方の農家の5女として生まれる。
すぐ上の姉とは6歳離れており、上の姉は時々帰ってくる人、
みたいな感覚で、ほぼ一人っこのようなものでした。
家が坂の上にあり、幼稚園に入るまでは1人で下に降りたことがなく、
通園・通学ができるか家族は心配していたそうですが、
集団登校ということもあり、すぐに馴染んで、登園していたそうです。
どこにでもいる、内気な女の子でした。

三途の川を見て、生きていることの不思議を知る、生かされていることの意味は

10歳の時、足がムクムクと腫れ始め、病院に行った時は母親が
「どうしてここまで放っておいた!」
と怒られるほどに腎臓の病気が重症になっていました。
ネフローゼ性腎症でした。
入院したその日から減塩食です。
入院する前日にカレーライスを食べていましたが、
母にこっそりと「昨日カレー食べてて良かったね」と言ったことを覚えています。
それから数日もせずに、
あっという間に腹水が溜まり、
私は危篤状態になりました。
そこからは覚えていませんが、
川の向こうに明るくて楽しそうな綺麗な街があったように思います。
でも、周囲を見ても川を渡る船はなく、
泳いでいくしかなかったのですが、
その頃の私は金槌だったので川を渡るのをあきらめたのです。
そして目を覚まし、
それからほぼ10か月の治療期間を終えて、自宅に帰ることができました。
今も後遺症なく、生きています。

入院中の記憶、薬の副作用が怖かった

はるか昔のことだけど、覚えていることがいくつかあります。

・入院生活の中で、好きな看護師さんと嫌いな看護師さんがいました。
嫌いな看護師さんに
「看護師さん嫌、あの看護師さんがいい」
と言ったのだと思います。
その時、
「そんなこと言ったら駄目だよ、看護師さん傷ついちゃうよ。嫌われるよ」
と誰かに言われました。
でも、その看護師さんに
「ごめんなさい。」
とは言えなかったと思います。

・入院中にやってはいけないことをしていました。
お薬が苦くてまずかったので、こっそり捨てていたんです。
よく治ったもんだと今更ながら思いますし、
今ならそんなことはできないでしょうが、そのこともずっと黙っていました。
看護師さんは知っていたかもしれませんが。

・治療上、ステロイド剤を内服するわけですが、
当然減塩食は続き、病院食はおいしくないんですよね。
でも、頑張って食べていました。
何故かというと、
看護師さんがこう言ったんです。
「ご飯を食べないと、薬の影響ですぐおなかが空くから、ゴミ箱あさるようになるよ。」
ゴミ箱をあさる自分の姿を想像して、
怖くなりました。
不味くても食べるしかない、と。

私のダメンズ恋愛遍歴から植えつけられた負の感情―生きていく上で必要だった?

私を知ってもらうためにちょっとお付き合いください。
これが私の思考過程を作っているんだと思います。

中学・高校と無難な学生時代を過ごし、
高校卒業後大阪にある看護学校に入学し、
卒業後も大阪で働いています。

✅学生時代にバイト先で出会った人は某有名大学の学生で、
とても賢く、恰好良く見えました。
この人と一緒になったら素敵な人生が待っていると思いました。
純粋と言うかただのバカと言うか。
付き合ってしばらくして、
彼にとっては付き合っているというのはなかったのかもしれませんが、
「君は1人で大丈夫だ。でも彼女は僕がいないとダメなんだ、わかってくれ。」
…うん?ドラマで聞いたことあるぞ…
彼女って?
二股だったの?
私はひとりでも大丈夫な人なの?
そして、別れました。
その時学んだことは、
女は可愛くて、か弱い方が好かれるものなんだ。
でも私はそんな男を頼って生きていく道は選ばない。

✅働き出してから、飲み屋さんに同僚に連れて行ってもらいました。
そこの常連さんと知り合いになり、
なんだか付き合うことになり、
結婚の話も出て、
親に挨拶に行くことになりました。
でも、実家に帰る当日、彼は来ませんでした。
「一緒にいたいけど、結婚とか、重いことはしたくないんだ、自由に生きていきたいんだ。」
…うん?それもっと早く言えたよね?
真剣に考えていたので、
悲劇のヒロインになった私は死んでしまおうと思いました。
どうしたら死ねるか考えながら、
知らない人に電話相談したら、
「今から会おうか?」
と言われ、あほらしくなりました。
そして、今も生きています。
その時学んだことは、
煮え切らない、夢の中で生きている男は、いざという時には逃げる。
人のために死ぬなんて無駄死にすぎる。

✅それから出会った人は話が面白く、男性との会話が苦手な私でもずっと話していられる、一緒にいて苦痛を感じない、とても格好いい人でした。
でも付き合いだしてから既婚者だとわかりました。
「怖くてすぐには離婚できない、僕だけでなく君も何をされるかわからない」
と、妻の横暴さや暴力を受けた話をされ、
反対にそんな人と一緒にいることが可哀そうで、
私が癒してあげなくては、
と見当違いの誓いをしたのでした。
そして、
いつか一緒になれると思い込み、
私の青春時代をほぼ一緒に過ごしました。
けど、ある日、
妻ではない別の女性から電話がかかってきました。
その女性との間に子供がいたのです。
私の中で何かがプツンと切れました。
そして、ようやく別れることができました。
その時学んだことは、
ダメ、絶対ダメ、既婚者は。
浮気する男は他にも浮気する。

ということで、今も独身ですが、それなりに楽しくやってます。

スタッフとの関係修復にエネルギーを消耗し、退職

看護師38年勤め上げ、あと2年で定年退職でした。
春に、副師長として異動した先で思いがけず、
スタッフと上手く関係を持つことができず、
モチベーションを上げる
エネルギーが出てこない状態になってしまいました。
今までなら、
上手くいかないこともあるし、
好き嫌いもあるからそれは仕方ないこと、
仕事上で、適当に付き合っていったらいいんだから、
何も相手が私の生活を見てくれるわけでもないし、
その人に拘る必要はない、
私の仕事をすればいいだけ。
と、それなりにやり過ごしてきて、
楽しく仕事をしてきたんだけど、
今回ばかりは敵が多すぎた。

こんなことでエネルギーを費やすのはもったいない。
あと1年しんどい思いをして過ごすより、
1年早く辞めて好きなことをした方がいい!

と思って、3月末で退職しました。
そして・・・

あるカウンセラーとの出会いが私を変えた、私は私でいいんだ

 前向きに退職したつもりでした。
無職となり、収入が途絶えたからには退職金で老後を生きていける訳もなく、やりたかったことに取りかかりました。
けど、なかなか身に付かない上に、
学ばないといけないこと・やらないといけないことが多くて、
空回りするだけで
日々焦る気持ちだけが
大きくなっていってました。
それでも
やるしかないのだから、やるしかない。
なのに時間を上手く使えない自分を責めていました。
そんな時、
カウンセラーをしている友人と何気ない雑談をしている時に
「なんか上手くいかないんだよね、焦ってばっかりで、収入に繫げられるまでにならないんだ。」とぽつりと言ったことから、
ゆっくり話を聞いてくれて、
私は涙が流れるのを止めることができなくなりました。
私は自分のことをそんなに賢くはないけど、
それなりにやっていける優等生だと思っていました。
頑張ることが普通のことだったんです。
頑張れない人や、愚痴ばかり言ってやるべきことをやらない人は
嫌いだったんです。
 話を聞いてもらって、
初めて自分が辛かったんだと気づきました。
できない自分が嫌いだったんです。
その日から、
少しでもできたことを肯定し、
できなかったことも肯定し、
何をしていけばよいのかを考え直していくようにしました。
言葉の力で私の心は軽くなりました。
カウンセラーの言葉の力を体験し、
私も心が辛くなっていることに気づいていない人や、
辛いと発して助けを求めている人の力になりたい。
皆が幸せを感じながら生きていけることへの一助になりたいと強く思いました。 

あなたの心が泣いていることに気づいて

職場での同僚・上司との関係、
友人との関係、
恋人との関係、
親やパートナー、
子供たち家族との関係など、
他者との関係なくして生きていくことは困難です。
でもその大切な人たちや避けられない社会とのつながりが
上手くいかなかったり、辛かったり感じている人は少なくありません。
だからといって誰に相談していいのかもわからない、
そもそも自分が辛くなっていることに気づいていない人もいます。
上手くいかないのは自分が悪い、
相手が悪いからだと。

ニュースの中では、
いじめやうつで自殺をした、
同僚が憎くて刃物で刺した、
元カノを諦められず殺したとか、
心が不安定になる現実がたくさん報道されています。
ニュースを見ている他人は
「可哀そうだな」
「ひどい人がいるもんだ」
「そこまでしなくてもいいのに」
とか、軽く感想を持って、
次の季節の明るいニュースに移ってしまいます。

この人間関係の最悪の結果となった現実は他人事で、自分とは関係ないことと思ってますよね。

でも、考えてみて下さい。
彼らは最初から自殺しようと思っていたでしょうか?
最初から殺そうと思っていたでしょうか?

最初は小さな事柄を見て見ぬ振りをしていたか、我慢してやり過ごしていたはずです。
心が泣いている、悲鳴を上げていることに気付いて、
対処してあげなかったから、
最悪の結果を選ぶことになったのです。
じゃあ、どこで踏みとどまればよかったのでしょうか?

答えは、すでに今のあなたが持っています。

今この扉を開いてくれたから、
「話を聞いて」「助けて」って言えたから。
少なくともあなたは最悪の結果を選ばずに、
生きていく道を選べたのです。

心がしんどくても頑張ってしまうことは普通です。
みんなそうやっていくのが普通だと思っているから。
でも、
普通っていう基準はどこにあるのでしょうか?

基準なんてないんです。
「普通」はあなたが生きてきた過程で
植えつけられた、自ら獲得した信念によるものなのです。
人と接するのがしんどい、
会社に行くのがしんどいと思ったら、
あなたの心は悲鳴を上げています。

それでも生きていくために社会生活を送らないといけない。
声を聞くだけで体が委縮する上司がいる会社に行かないといけないなら、
そこから逃げるか、
あなたの心のパワーを強める手段を得ることをお勧めします。

生きていく武器を手に入れる

私はここで、あなたが社会の中で生きていく武器を手に入れてほしいと思っています。
決して銃やナイフではありません。
(銃刀法違反で捕まりますからね、そうなるとまた違う社会が待ち受けています)
心が強くなる武器です、
何なら図太くなってもいいんです。

あなたが
関わるべき、あるいは関わりたい人たちと
上手く関われないのは
自分自身の問題かもしれないし、
相手の問題かもしれない。
なのに、
原因をすべて自分の中に求めたり、
誰のせいでもないのに相手を責めて、
怒りが制御できなかったり、
また自己嫌悪に陥ったり…。

自己の思考パターンや
他人と自分の境を知り、
自分の価値を見出せる。
そうすることで、社会で生きていく魔法の武器を手に入れることができるのです。

ここを帰り道にある喫茶店だと思って、
「今日はむしゃくしゃしたことがあったからちょっと愚痴聞いてもらおうかな」
くらいの軽い気持ちで
コーヒーを飲みに来てください。
そして自分自身を癒し、
明日に備えて
心を強くする武器を
少しずつ手に入れていってください。

あなたがホッとできる場所、
この寄り道で、
今夜ぐっすり眠れるように、
心を軽くして帰って行ってくれたら、
嬉しいです。